「留学は、勝ち取ったというよりも、拾われた、という感覚が強いです」
努力された背景とは裏腹に、とても謙虚な言葉が印象的でした。今回、University of Calgary(カルガリー大学)のBiomedical Engineering Graduate Program(生物医工学大学院プログラム)に在籍する現役生H.Sさんにインタビューにご協力いただきました。
Sさんは、日本で修士号を取得し、製造業に就職した後、アカデミアへの思いを諦めきれず、社会人からカナダの大学院への進学を決意されたといいます。
北海道出身で、カルガリー大学には2025年9月に入学し、MRI研究の最前線に飛び込まれています。
今回のインタビューでは、社会人留学ならではの葛藤や決断、そしてカルガリーでのリアルな留学生活について、率直にお話しいただきました。

Cascade Gardenにて、ABBME conferenceの後のBanff town観光の様子
留学を決意した理由|アカデミアへの思いが諦めきれず
Sさんの留学決意の背景には、コロナ禍の悔しさがあるといいます。
日本の大学院修士課程在学中、感染症拡大の影響で満足な実験も学会参加も叶わず、研究者としての充実した経験を積めないまま卒業を迎えることになりました。その後、製造業に就職されましたが、研究への情熱は消えませんでした。
「卒業後、製造業に就職しましたが、その後もアカデミアへの思いが諦めきれず、再度大学で研究を行うことを決意しました」
働きながら抱え続けた「もう一度、研究がしたい」という気持ちが、やがて留学という形で実を結ぶことになります。
カナダを選んだ理由|人の目からの自由
社会人が退職して国内の大学院に入学するという選択肢もある中で、Sさんがカナダを選んだ理由は、一般的なものとは少し異なっていました。
「社会人が退職して国内の大学院に入学するイメージを持てませんでした。少なくとも私が在学中にそのような方はおらず、自分が周囲に受け入れられないのではという漠然とした不安があったのです」
日本社会での「周りの目」を気にせず研究に集中できる環境を求め、まず海外という選択肢が浮かんだそうです。
その後、国ごとの留学事情を調べるにつれ、留学費用の安さ、北海道出身であることへの親和性を感じる雪国らしい気候、そして専門であるMRIを扱う大学が豊富にあることから、カナダへの留学を志望されるに至りました。
カルガリー大学を選んだ理由|教授からのオファーが決め手
数あるカナダの大学の中からカルガリー大学を選んだ最大の理由は、「興味のある研究を行っている研究室があった」とのことです。
「幸運なことに、その研究室の教授からオファーを頂き、やりたいことをやらせて貰える運びとなったのが一番の理由です」
加えて、カルガリーはカナダの中でも比較的生活費が安く、住みやすい都市としても知られています。研究内容と生活環境、両面での好条件が重なり、カルガリー大学への入学を決められました。
大学院の授業と研究室の雰囲気|高い英語力と勤勉なクラスメイト
現在は修士卒業に必要な授業をすべて履修済みで、研究活動に注力されています。授業はどこも少人数構成が基本で、発言を求められる場面が多いといいます。
「始めは緊張しましたし、初歩的ですが言語が変わろうと議論ができることに喜びを感じていたのを覚えています」
クラスメイトについては、その真剣さに刺激を受けているそうです。
「クラスメイトは皆とても真面目に課題などに取り組んでおり、それだけで留学のモチベーションがあがります。また、全員ネイティブかなと思うぐらい英語が達者です。いくら勉強しても十分ということは無いと思います」
GPAが重視されるカナダの大学院らしく、周囲の学習意欲の高さは日本の大学院とは異なるレベルだと感じているようです。

Saddle Stadium にて、研究室メンバーとアイスホッケー観戦の様子
カルガリー大学のキャンパス|広大で静かに集中できる空間
カルガリー大学はダウンタウンよりも広いといわれる巨大なキャンパスを有しています。その設計のゆとりは、学習環境にも活かされています。
「どの建物も非常にゆとりのある設計になっていて、また冬期以外は屋外の至る所に一人用ベンチがあり、各々好きな場所で作業に没頭している光景が見られます」
自宅では集中できないというSさんにとって、研究室以外にもさまざまな学習スペースが確保されているカルガリー大学の環境は理想的だと感じているそうです。
カルガリーでの生活|多様性と温かさが共存する街
多様性のリアル
カルガリーの多様性は、単なる「いろんな国の人がいる」という次元を超えていると感じているそうです。
「留学生はおろか、カナダ人という括りの中でさえバックグラウンドを言い当てることは不可能だなと思いました。私と同じ研究テーマを扱っている友人はカナダ人ですが、香港で生まれた後に移住しており、ファーストネームはフランスの苗字といった具合です」
カフェテリアにはハラルフードやベジタリアン対応の食事なども用意されており、食の面でも多様性を実感されているといいます。
街の雰囲気と治安
ダウンタウンの雰囲気は、北海道出身のSさんの目には「札幌に似ている」と映っているそうです。現地の北海道出身者とも同じ解釈で一致したというエピソードが、妙にリアルです。
治安については、大学近辺に住んでいることもあり、大変良好だといいます。ただし、ホームレスの方を目にする機会はそれなりにあるとのことで、病院近辺の通りは注意するよう言われたそうです。
驚くのは人々の気さくさです。
「めちゃくちゃ話しかけられます笑。駅でも、スーパーのレジでも、キャンパスでも。多様性の中にも田舎のような温かみを見せてくれるカナダの好きなところです」
食生活と生活費
大学院生として給与を受け取れる立場であれば、生活に困ることはないといいます。ただし外食はチップ込みで出費がかさむため、自炊が中心です。近所のスーパーでも日本食が手に入るため、自炊そのものを楽しまれているそうです。家賃はかなり高く、財布の紐が自然と引き締まると苦笑いされていました。
自然環境
カルガリーは高地に位置するため、ダウンタウンから少し離れると見晴らしが非常に良く、自然の雄大さを感じられます。夏の日差しは強いものの、日本の夏と比べると暑さは穏やかで、毎日外出日和とのこと。冬の極寒も「楽しんでいます」と話してくださいました。
留学生活で大変だったこと|英語の聞き取りという壁
最も苦労したこととして挙げてくださったのは、英語のリスニングです。
「様々な国から学生が集まってきますから、バックグラウンドの数だけ英語があり、私もその一つでした。初対面の方の英語がはっきり理解できるまで時間がかかることは日常茶飯事です」
特に、レストランや学会など人混みの中では驚くほど聞き取れない場面があるといいます。
「同じ場面でも母語では文脈を脳内で補完していただけだったのだと痛感させられました。海外経験が全く無い自分の純粋な場数の少なさがこうしたところに現れていると感じます」
授業以外の過ごし方|ランニングと研究室のイベント
趣味はランニングで、キャンパス周辺の探検も兼ねて走っているそうです。
所属研究室がイベントを積極的に開催する文化を持っており、先日は研究室メンバーと「カルガリー・スタンピード」(カルガリー最大の野外フェスティバル)に参加されたといいます。
研究に集中しながらも、課外活動を通じてコミュニティに溶け込まれている様子が伝わってきました。
卒業後の展望|博士課程へ
修士課程修了後の進路も、すでに決まっているといいます。
「博士課程へそのまま進学予定です。博士課程編入準備のため、忙しいながらも充実した日々を送っています」
社会人から再びアカデミアへ飛び込み、今度は博士課程まで見据えているSさん。その歩みには、研究への純粋な情熱が感じられます。
カナダ留学を検討している方へのメッセージ
カナダ留学を他の方にも勧めたいかという問いに、迷いなくYesと答えてくださいました。
「就職活動に精を出さざるを得ない日本の学生よりは学業に集中できているように思いますし、何より全く異なる環境に長期間身を置く経験はオンラインでは達成し難いことです。国外に目を向け、実際に留学する行動力を養えるだけでその価値があったと考えています」
一方で、「国内では駄目なのかを自問することは大事」とも話してくださいました。海外留学を盲目的に勧めるのではなく、自分に合った選択肢を冷静に見極めることの大切さも伝えてくださいました。
そして最後に、留学を検討している方へ向けて、こんなメッセージを贈ってくださいました。
「私自身、海外留学いいなあ、という誰もが口にするような漠然とした憧れからネットで記事を検索するような怠惰な一歩から始まりました。大学からは完全に離れてしまい、周囲に相談したくとも留学を経験した人間はゼロ、という状態からここまで漕ぎ着けたのは、振り返ってみても少し信じられない話です」
「強い意志を持って取り組み続けたなら、誰かが声をかけてくれて、結果的に何処かしらで納得のいく活躍ができるものと思います。皆様の海外留学が、努力と巡り合わせによって、実りあるものとなりますようお祈りいたします」
まとめ
「拾われた」という謙虚な言葉で自身の留学を表現しながらも、Sさんが歩んできた道のりには、コロナ禍の悔しさを胸に抱えながら社会人として働き続け、それでも諦めなかった強い意志がありました。
漠然とした憧れから始まり、調べ、動き、ついにカナダの地で研究者としての道を切り拓かれています。
社会人からの大学院留学は、決して特別な人だけに許された選択肢ではありません。Sさんの物語が、一歩を踏み出す勇気を持てずにいる誰かの背中を、そっと押してくれるはずです。身近に悩んでいる方がいましたら、是非この記事を読んでいただけたらと思います。